祖父母の家
今日は、アトリエの片付けと、連休明けの準備を
気持の良い春の日差しの中でしたあとに、
昔のブログを読み返していました。
そんな昔の記事の中に以下の「祖父母の家」という
ものがあって、ここに再掲載しておこうと思いました。
いまは、その当時健在だった祖母も亡くなり、
もっともっと、この「祖父母の家」が懐かしいです。
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「祖父母の家」2007年5月9日
行こう行こうと思っていて、行けなかったお墓参りにようやく行って来ました!!
父方の祖父がねむっているお墓は、父の実家のすぐ後ろにあります。
そんなわけで、お墓参りに行くと必ず祖母に会っていたのですが、
今年からは会うことが出来なくなりました・・・
祖母は東金にある老人ホームにいってしまいました・・・
祖父母の家
設計者:不明
施工者:不明
上の写真は、その父方の「祖父母の家(父の実家)」です。
たぶん、築50年くらいだと思います。
わずか、10坪足らずの平屋に5人家族が住んでいました。
父を含め子供たちが独立してからは祖父母だけで住んでいて、
祖父がなくなってからは、祖母が一人で住んでいました。
小さなバラック
低い天井
間仕切りのない一室空間
この家も寿命を迎えようとしています・・・
細い柱と頼りない梁でできた小屋ですが、構造的な寿命はきていないようです。
この家が寿命を迎えるのは「その機能的な存在を必要とされていなくなった」という
理由からです。
もちろん、父や父の妹弟(叔母や叔父)をはじめ、私や妹、従兄弟たちに
とって思い出の詰まった存在ですから、ノスタルジーとして必要としていますし、
精神的にとても重要な存在であることは間違いないのですが、それはそこに
祖母がいることが前提というか、条件であるので、祖母がいない以上、
ノスタルジーや精神的やらは意味のないものとなってしまうのです。
でも・・・と、言いたい気持ちを堪えておくことにします。
2015年5月5日加筆
2007年5月9日に書いた上の文章(打ち消し線の部分)は意味がわかりません。
おそらく、祖母は私のことをもの凄く可愛がってくれていたのに、
私は、それを知っていながら、邪険にしていたことを
2007年5月9日当時も悔いていたので、途中で文字を書くことを
止めてしまったのではないかと思います。
こんなに永く、大切に使われて、文句を言いながらでもそこに家族が集まる。
そんな場所であり、存在でした・・・
家の寿命の終わり方としては、最高の部類にはいると実感しております。
ありがとうって言いたいです。