単なる「材料」として考えて良いか?
先日、やっと見た「WOOD JOB!(ウッドジョブ!)」。
評判通り、とても楽しく、内容の濃い、良い映画だった。
コメディタッチでありながらリアルな林業の内容を
伝える映画になっていて、苦痛にならずに林業のことを
知ることができる。
私が見ていて一番感じたのは、
「木材を単なる材料として扱うのは違うのではないか?」
と言うこと。
設計という立場で、住宅をつくる際に、
柱や梁、垂木など多くの場所に「木」を使う。
というか、ほぼ木でを使ってつくっている。
そのときの思考としては、
「材そのものの強さ、それに対しての断面のサイズ、
耐久性、乾燥具合、入手しやすさ、価格」
などをまず考えて、その後に見た目の良さや香り、手触り
雰囲気などを気にしていくという思考の順序になっている。
まずは、構造的にどうか?値段は?
とてもドライな思考で「木」というものを見ている。
家が人を地震や台風などの災害から守ることが
必要なので、そのようなドライな思考は大事だけど、
もっと「木」という素材の物理的なことや経済的なこと
以外の部分について考える必要があるのではないか?と。
木はもともと山にあり、生きていたものを
切って、材料に加工され、住宅で柱や梁として使われる。
大袈裟に言えば、家をつくるために木の命をいただいているのである。
その命を、単に物理的なことや経済的なことだけで
扱ってはいけないのではないか?と、感じる映画でした。